2006年10月11日

民衆に罪はないのか?

今日も朝ズバを見てたら、在日インタビューがあって、ひとりのおばちゃんがこう言いました。

「北朝鮮の国民に罪はないんだから」

日本人は先の戦争においてもそう言っていました。民衆に罪はない。悪かったのは政府であり、軍であり……
こういうときに、いつも思うんですよ。
本当に民衆に罪はないのか?
私が思うところでは、否、です。民衆には罪がある。
むしろ、最大の罪は民衆にある。
こと近代国家を語る限りにおいては、これは揺らがないと考えます。

たとえば大正-昭和の大日本帝国政府。これはいったい、どのようにして選ばれたでしょうか?
選挙です。国民投票です。開戦に至り敗戦の屈辱を嘗める政府を作り上げたのは民衆なのです。ドイツも然り、イタリアも然り。なので、私は「政府が悪かった」と言い出す人間は信用しません。そういう人間は日本人であろうと外国人であろうと、自分で責任を取れない人間だから。
さて、これが独裁国家……たとえば北朝鮮であればどうでしょう。独裁国家に洗脳されているから、弾圧されて抵抗できないから、民衆に罪はない……本当にそうでしょうか?

では、金日成を歓呼して迎え入れたのは誰だったでしょうか?

愚民であった、といわれればそれまでです。しかし、60年、愚民であり続けたことに罪はないのでしょうか。革命すら起こせなかった、それは罪ではないのでしょうか。
先の大戦において、日本軍が「解放」(あえてこの言葉を使います)した東南アジア諸国の人々は、こう言うそうです。「自分たちで祖国を解放したかった」と。彼らはいまも、この「罪」に向き合っています。
無知は罪といわれます。そして、知りながら口をつぐむのは、より罪であります。愚者であり続けた罪は、愚者自らが償わねばならないのではないでしょうか。
なぜならば、その罪を、今私たち日本人は償っているからです。

私の友達が言いました。「戦争になったら、安全な国に逃げるよ」と。
まぁ、それはひとつの選択肢ではあると思います。実際そうなれば、きっと私も逃げてしまうのでしょう。でも、なんと愚かな行為か、とも思います。世界の難民キャンプの報道を見るたびに、思います。
逃げて、帰ってきて、私はどう思うでしょう。この国は、私を受け入れてくれるでしょうか。いちどは捨てた私を、受け入れてくれるでしょうか。

前にも言ったかしら。世界は、そろそろ直視すべきです。
すべての罪は、愚民にあるのだということを。そこから始めないと、何もはじまらない。
権力も、独裁も、戦争も、すべて民衆が作り出したものなのです。英雄を待つのも、英雄を作り上げるのも、英雄を捨てるのも、みな、民衆です。自分たちが作り上げた英雄の犠牲者は自分たちだったなんて、どれだけ滑稽なことか。

ひとりの英雄を否定し、民衆がすべてに責任を持ち、すべてに権利を有する。民主政治というものは、そういうものではないですか。
民衆に罪はない。すべては虚像の英雄の責任だ。そう言っている間には、きっと戦争はなくならないでしょう。そして歴史は繰り返すのでしょう。
posted by NORIKO at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | この国のアレ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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