2006年11月21日

自由が先か、秩序が先か

子どもの権利条例 札幌市、提案見送り
 自民党が反対する最大の理由は、「権利よりもまず義務を教えるべきだ」という点だ。学校で教師が子どもを指導しても、「自分らしく生きる権利がある」と反論されるのではないか、などという懸念がある。同党議員会政審会長の笹出昭夫市議は「権利を主張し、わがままを通す子どもにどう対応するのか」と指摘する。

 札幌市の条例の元になった国連の「子どもの権利条約」についても、笹出市議は「後進国の子どもたちの保護を目的としたもの。日本の現状にはそぐわない」という。

 これに対して市側は、「権利を与えないのではなく、行使する時に守るルールを教えることが大事」と反論。国連の権利条約についても「いじめや虐待など、子どもの人権侵害は依然としてある」と説明する。

 市が市民から募った3500件余りのパブリックコメントでも条例への賛否を含め、様々な意見が寄せられた。「子どもの権利は憲法などで規定されており、条例にすることはない」との意見がある一方で、「権利を与えるとわがままになるというのは誤解。むしろ自律と責任感を促す」と、制定を望む声もあった。
「権利を主張し、わがままを通す子どもにどう対応するのか」、この主張は正しい。権利を主張するだけで義務を果たさない大人が多い現状を鑑みるに、子供がむしろ自律と責任感を持つかどうかははなはだ疑問です。

日本人はしたり顔で権利や平等、自由を語りますが、欧米人と決定的に違うことがあります。
それは、秩序の位置です。
人は皆平等であり自由である、というのは多分にキリスト教的な考えです。人は神の前ですべて平等であり、人によってその自由を制限されてはならない。崇高な考えであり、人類普遍のものと思います。
しかしそこには、人の自由の頂点に「神の法による秩序」が厳然として存在するのです。
神が法として下した秩序に依ることで、人の自由は守られる。つまり(いろいろな考え方があるにせよ)、基準は秩序>自由なのです。
日本人(というか非一神教圏というべきでしょうか。この秩序>自由の理念はユダヤ・イスラムもおなじものです)は誤解している人が多いのではないでしょうか。自由は秩序を超越するものでは、本来はないのです。自由と無法は紙一重であり、それを律するには堅い秩序が必要であることを、宗教は教えているのです。

日本にも本来は、そういった一神教に依らない秩序が存在していました。それが「恥」の概念であると私は考えます。これもまた神道の精神に依るものであり、宗教であるともいえるのですが。
和をもって尊しとなす、という概念は、みなが個人の自由を追求していては成り立ちません。なぁなぁであるにせよ、自由と権利ばかりを主張して義務をおろそかにすれば村八分という形で制裁される。いまではこれも「いじめ」に分類されてしまうのでしょうが。

自由を教える前に義務を教えるべき、というのは当然です。現在その悪しき前例がいらないことばかりやって、もっとも大切な秩序を破壊しまくっているのですから、まずは秩序を回復することに奔走すべきです。
語り尽くされた話ではあります、が。
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2006年11月20日

教育勅語

正式には「教育ニ関スル勅語」だそうです。こちらからいただきました。

教育勅語
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日
  御名御璽

現代口語訳
 私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります。

 あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を反映していくものでもあります。

 このような道は実に、我が皇室の祖先の御遺(のこ)しになった教訓であり、子孫臣民の共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、国内だけでなく外国においても間違いなき道です。私はあなた方臣民と共にこれらを心に銘記し守っていきますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを希(こいねが)っています。

明治二十三年十月三十日
(天皇陛下の署名と印。)

教育勅語がどうこう言う奴にはぜひこれを提示して、何がおかしいのかを指摘してもらってください。たいてい指摘した奴の言動がおかしいです。
※原文のほうはなぜか旧字の「徳」を使うと文字化けしてしまうため、新字に変えています。

ほかにもhttp://www.asyura.com/sora/bd12/msg/504.html
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ちょwwww

痛いニュース/腐女子「男性同士の愛は、純愛です!」…"ボーイズラブ"にハマる年齢、「11〜15歳から」が6割
“そう・・・。そのまま飲みこんで。僕のエクスカリバー・・・”
この言葉を聞いて、ポワっと顔を赤らめたら、あなたもしくはあなたの彼女は立派な腐女子
赤らめねぇぇぇぇぇぇ!!!!……いや、赤らめるかもしれん。軍曹ばりの「ヒィヤァァァァァ!!!!!」とかいう叫び声を上げつつ。
つーかほかにも恥ずかしい帯のBL小説いくらでもあんのによりによってなんでこんなゾーマレベルの帯を例に出すんだよ!!! 腐の間でもネタ扱いだよ!!
……一時、巡回サイトの日記のタイトルがこのネタだらけになったことを思い出しました。いつかシリアスゑろ小説でこのフレーズを使って一気にギャグにたたき落としたい夢もありますが、勇気がなくてできません。
よし次。ツッコミどころ多いからサクサクいかんとな。

1番多かったのは、 11〜15歳でなんと全体の59.5%を占めている。思春期にボーイズラブに目覚める人が全体の約6割を占めるわけだが、気になるのはその動機。異性にとてつもなく興味がある時期に、なんでわざわざボーイズラブなの? 「男性愛は、普通の恋愛より純愛です!それに自分とは、あまりにかけ離れた世界だから妄想に際限を作らないんです。好きに妄想し放題(笑)」(腐女子歴11年/Aさん)
思春期にBLに目覚めるというのは確かにそう。ヲタに目覚める時期とかぶってる。私も最初にヤヲイ同人誌を買ったのは中一だったなぁなつかしい。中学校でできたヲタ友のお姉ちゃんがやっぱりヲタで、その流れで知った感じ。
しかし男性愛は、普通の恋愛より純愛というのは本気で信じてる奴はいまい。本音はその後、好きに妄想し放題ですよ。
はい次。

また意外な結果は10歳以下は全体の7.8%と思いのほか多く、成人してからと回答した人は20%とかなり多い。腐女子になった理由は「友達が腐女子だったから」は約3割。中には「お母さんが腐女子だったから」といったツワモノも。『風と木の詩』のようにひと昔前からボーイズラブ本はあったし、よく考えたら不思議ではない回答なのかも。腐女子が腐女子を作り出す!? 恐るべし、腐女子サイクル・・・。しかも「生まれた時から腐女子」と腐女子DNAでも存在するかのような回答も
母が腐女子はありうる。私もいいかげんいい年ですが、私が目覚めたトルーパー世代でがんがんやってた同人女だったら確かにそのくらいの娘がいてもおかしくない。そうすると母の蔵書を勝手に読んでうっかりその道に、というのもありうる。
あとDNAレベルで、っていうのは意外に見逃せません。私の経験上、腐る奴はどうやっても腐るし腐らない奴は何をどうしても腐らないという傾向はあります。一回腐った女はほぼ9割舞い戻る法則もありますし、親子でサークル取ってるという話を聞く限り、腐女子は遺伝するとみてよい。環境が悪いという説もありますが、環境がどうだろうと腐らない奴はほんとに腐らないものです。

……ちなみに。
男性には大変気の毒ではありますが、どんなコアなジャンルでも腐萌えしている女はたいていいます。男が二人いれば無意識で受けか攻めかに分類してしまうのが腐女子というもので、それはもう習性でありますので、基本は『近寄らない』が無難かと思われます。どこにでもわいてくるずうずうしい腐女子は腐界においても害病でありますので強制排除してよし。

とりあえず、こういう記事は腐的にどうかときかれれば、「頼むから放っておいてくれ」と言いたい……

どうでもいいですが私はラオウ×トキですっていうかトキ様総受けであります、と不快なネタふりで締めてみるwww
いやーなんかただでさえ少ない閲覧者が消え失せそうな記事でありますなwwww
posted by NORIKO at 11:59| Comment(0) | TrackBack(0) | この国のアレ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月15日

想像力の欠如って深刻だよな

漫画で分かる"無防備地域宣言" 平和願って出版
 平日はサラリーマンという兼業ヒーローと、平和主義を勉強する中学生が主な登場人物。同宣言の意義や仕組みを解説するほか、「軍隊は住民を守らない。まず命を失うのは弱い人々」という沖縄戦の体験談や、戦争放棄をうたった憲法九条についても紹介している。

そういえば老師にお聞きしたことがある。

「理念なき力は悪だが、力なき理念は悪にも劣る」

左の頬を打たれたら右の頬を差し出しなさいと言うのはいいが、んなものは自分だけでやってくれ。私らをまきこまないでくれよ。
その辺にあふれてる戦略シミュレーションゲームでもやってみろ。どんなクソゲーでも最初に占領するのは「敵軍がいない地域」だよ。そしてそこから食料その他を徴発する。

国を守る、領土を守るというのはつまり、そこにいる人間を守るとイコールなのであって(人的資源がもっとも重要な資源である。だから特攻玉砕もギリギリになってから行われたわけで)つまり言いたいことは「寝言は寝て言え」。

野郎の群れに裸の女を投げ込んだらどうなるか。九条っていうのはつまりそういうことです。
『裸の女』をどう扱うかは、『野郎の群れ』の胸先三寸。服を与え丁重に扱う野郎どもはとても紳士ですばらしいですが、そのまま輪姦されても文句は言えまい。
そうされたくなければ服を着るべきだ。
つまり、そういうことです、といろんな人が口を酸っぱくしていってるわけなんだけど。
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2006年11月14日

福澤諭吉「脱亜論」

日本の不幸として立ち現れたのは近隣諸国である。
そのひとつは中国であり、もうひとつは朝鮮である。この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているのだが、もともと人種的に異なっているのか、それとも教育に差があるのか、中国・朝鮮二国と日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、それでも過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。

もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。日本は、むしろ大陸や半島との関係を絶ち、欧米先進国と共に進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならないのだ。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。
(明治18年3月16日)

諭吉先生はかくも偉大なり(´;ω;`)ブワッ
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