こんな馬鹿が日本にいる。こんな馬鹿が人権や思想を語ってる。
ぜひ「人権活動家」や「左翼」の方たちに、これをどう思うか聞いてみたい。
天皇家の方々には日本国民としての権利がないから人権を考えないでいいというのか。
天皇家の方々は人間じゃないと言いたいのか。
それは戦前の「天皇は人にあらず、神である」と何が違うのか。
「"天皇陛下、あっちは立つの?""ヒサヒトいらない"…週刊金曜日主催、下劣な "市民集会"」 週刊新潮報じる
(前略)そもそも劇の中で皇室なんて一言も言ってませんよなんてどの口が言う。皇室皇室言ってるじゃねぇか。
「そう言えば、去年は皇室典範を変えるとか変えないとかで、マスコミがずいぶん騒がしかった。でも、ウチの次男のところに男の子が生まれたら、それがピタッとおさまっちゃいましたね」
と悠仁親王のことを話題に。
そして、
「今日は、実はその子を連れてきているの。ちょっと連れてきて」
と言うと、スタッフが舞台の下からケープに包まれた赤ちゃんの人形のようなものを壇上の“美智子皇后”に無造作に手渡した。
よく見ると、猿のぬいぐるみである。
“美智子皇后”は、そのぬいぐるみに向かって、「ヒサヒト!ヒサヒト!」と声をかけながら、その猿の顔を客席に向けたり、ぬいぐるみの腕を動かしたりする。
場内は大爆笑。
大受けに満足の“美智子皇后”の芝居は続く。
やがて、抱いている猿のぬいぐるみに向かって、
「ヒサヒト! お前は、本家に男の子が生まれたら、お前なんか、イーラナイ!」
と叫んで、舞台の左側にポーンと放り投げるパフォーマンスが演じられた。
だが、このシーンで場内は静まり返った。
若者の中にはクスクスと笑いを漏らす者もいたものの、さすがにここまで来ると観客の大半が凍りついてしまったのである。
(中略)
「天皇なんてもう要らないんじゃないですか。天皇なんてのは民間の邪魔になるだけでしょ?」と聞く二人に“美智子皇后”は、「あら、アタシは民間から上がったのよ」と、応える。
中山女史が、
「そもそも天皇になれるのが直系の男子だけという方がおかしいでしょ? 男でも女でも、長子がなれるようにすべきじゃないでしょうか。それで、ハタチぐらいになったら、本人の意志で天皇になりたければなり、なりたくなければ一般人になってそれで終わり。普通の市民のように選挙権も持てるようにすればいい。そうしていけば、天皇家というウチはなくなります」
と、持論を展開。
すると、矢崎氏が、
「そう言えば、今日はご主人が来てませんね?」と“美智子皇后”に尋ねる。
「ハイ」
「どこか悪いの?」
と、矢崎氏。
「ハイ。知っての通り、病でございまして。マエタテセン?じゃなかった、えーと、あ、そうそう、前立腺を悪くしまして。あまり芳しくないのですよ」
「それはご心配でしょうねえ」
「そうなんです」
そんなやりとりが続いた後、突然、矢崎氏が、
「それであっちの方は立つんですか?」
と、聞く。
“美智子皇后”は面食らいながら、
「私の記憶では……出会いのテニスコートの時は元気でございました」と、応える。
場内はシーンと静まりかえった。
天皇のご病気までギャグにされたことで、さすがに観客がシラけてしまったのだ。
「笑い声なんてなかったですよ。何て下劣なことを言うのか、と思わず拳を握りしめてしまいました」
と、当日、イベントに参加した観客の一人がいう。
「その後も園遊会で来賓とお話をする両陛下の物真似で、笑いをとっていましたね。憲法や教育基本法の集会だと思っていたのに、結局、この人たちがやりたかったのは、安倍晋三のこきおろしと、皇室を中傷することだけだったんですね」
(中略)
今回“美智子皇后”を演じたのは、劇団『他言無用』に所属する石倉直樹氏(49)である。
永六輔氏に可愛がってもらって、全国各地のイベントで活躍している芸人だ。
「僕たち(注=メンバーは3人いる)は、テレビではできないタブーに切り込む笑いをやっているんです。持ちネタは、色々ありますよ。杉村太蔵や橋本龍太郎、それに創価学会だって、やってます」
と、石倉氏がいう。
「中でも最近は美智子様の芸が目玉になってきてますね。実はお笑い芸人として活動を始めた頃、ちょうど昭和天皇がご病気になって、歌舞音曲慎め、と仕事が次々キャンセルされたことがありましてね。その時、これはおかしいぞ、と思いました。16年経った今も、お世継ぎがどうのこうの、とやっている。何とも言えない怖さを感じます。美智子様のことは好きなんで、出来ればキレイに演じたいんですけどね」
悠仁親王を猿のぬいぐるみにしたことには、
「この小道具はよく使うんです。普段は、名前をそのまま言わないんですが、あの集会では、ついフルネームで言ってしまいました。(ご病気については)矢崎さんと中山さんに下ネタをふられ、乗せられてしまいました。
僕は基本的に下ネタは好きではない。永六輔さんには以前、永さんがやっておられた渋谷の劇場にも出させてもらいましたし、去年は沖縄公演にも京都のコンサートにも出させてもらいました。
京都では、僕が皇后で、永さんが侍従の役で、色々やりましたよ。
僕自身は、これを(市民)運動としてやっているつもりはないし、あくまで自分が面白いと思うことをやっているつもりです」
お笑い芸人としてタブーに挑戦する──石倉氏は腹を据えて演じているらしい。
だが一方、司会を務めた佐高氏の反応は全く違う。
「皇后を中傷する劇? いやいや、そもそも劇の中で皇室なんて一言も言ってませんよ」
と、こう語るのだ。
「あくまで“さる高貴なお方の奥様”としか言ってないんですから。だから皇室の中傷などではありません。それは受け取る側の見方ですから、こちらがコメントする理由はありませんよ。そんなこと言うなら核議論と同じで、こっちも封殺するな、と言いたいですね」
永六輔氏は、何というか。
「僕はあの日、3時に来いと言われて会場に向かったんですけど、車が渋滞して遅れ、3時半に到着したんです。
だから、そのコント自体、見てもいないし、全然わからないですよ。だから『週刊金曜日』に聞いてくださいな」
と、知らぬ存ぜぬだ。
石倉氏に比べて、二人は何とも歯切れが悪い。矢崎氏と中山女史に至っては、取材申し込みに対して、梨の礫だ。
作曲家のすぎやまこういち氏は、今回のことをこう語る。
「そうですか。まだ(永氏らは)そんなことをやっているのですか。呆れますね。下品です。
自分に置き換えて考えてみればいい。自分の孫が猿のぬいぐるみにされて、放り投げられたり、病気のことを揶揄されたりしてごらんなさい。人権に対する意識も何もない。
彼らは、いつもは人権、人権というくせに、実はそれが彼らの正体なんですよ。」
主催者である『週刊金曜日』の北村肇編集長は、同誌の編集後記でこの集会の模様をこう記している。
<冷たい秋雨の中、2000人近い人びとが集まった。不思議なほどに穏やかな空気が会場には流れ途切れなかった。永田町の住人に対する、満々たる怒りを深く共有しながら、しかし、そこに絶望はなかった>
何も言うことはないです。
これを「おかしい」と思わない奴は、日本人としてというより、人間としておかしい。
これで笑える奴を、こんなものを面白いと思っている奴を、私は人間として認めません。
あまりこういうことを言うのは好きじゃない。でも、さすがに今回ばかりは反吐が出る。吐き気がする。気持ち悪い。
おまえらなんか死ねばいい、死んじまえ下衆どもが、と思います。本当に。
怪物と戦うものは、 その過程で自分自身も怪物になることがないよう、 気をつけねばならない。 深淵をのぞきこむとき、 その深淵もこちらを見つめているのだ。
フリードリッヒ・ニーチェ 「ツァラトゥストラはかく語りき」