2006年12月22日

極刑の意味

私は日本の刑事罰は軽すぎると考えています。『因果応報』を身上としているので、「こりゃ軽すぎだろ」と思う判決もしばしば。仕方ないんですけどね、この国性善説だから。いかなる人間にも更正の余地があると考えるところから立っている。それは日本人の美徳ではありますが、ものには限度がある。
犯罪者を税金で養うのか、と言われるかも知れませんが、懲役刑の極端な短さには私はときおり納得いかないことがあります。無期懲役は「期限が決められていない」であって、終身刑にはなりえないことも腹立たしい。いかに恩赦があっても出てこれない、200年や250年の懲役はあっていい。二度と娑婆には戻ってこないのだという安心感が欲しいわけですよ、一般市民としては。
そして、とんでもないことをした奴は命をもって償え、と思う。命より尊いものがないというのなら、そのもっとも尊いものを差し出してあがなうべきではないのかと。
罪の重さに気づき、改心をしたというなら、それこそ死ぬべきだと思います。どうして生きていられるのか、それこそが私には理解できないことです。いっそ殺して欲しいと思うなら、生かしておくことが罰であるとは思いますが、その境地に達する人などどれだけいるでしょうか。
そうでなければ、生きていることが苦行であると思える状況を作るべきです。
死刑を宣告されるような凶悪犯罪者が、それ以降一度たりとも『人生における喜び』を感じることなどあってはならない。人としてもっとも大切なものが命だというのなら、おそらくその次に大切であろう『人としての尊厳』を差し出してもらう、これが他人の命と尊厳を踏みにじった者の唯一の償い方であると考えます。
私は命よりも『人としての尊厳』(人権じゃありませんよ、念のため。犯罪者に人権はない)が上に来るので、それならいっそ死んでしまえと思うわけです。人として死ねるなら、まだ良い方じゃないですか。だって、こういう人たちに殺された人は、人として死ねなかったんですよ?
もし死刑が廃止されるなら、仇討ちを復活させるべきです。制度としての変更点はなし。仇討ちの仇討ちは禁止、仇討ちが成功したら腹を切る。
それでも仇討ちをしたい遺族はいると思います。
私だって、きっとやるよ。それで自分が死んでもかまわない。のうのうと生き延びる奴らを憎んで生きるより、貴様を殺して私も死ぬ、ってなもんです。

あと性犯罪者は一律で去勢すべきという考えも変わらん。おまえら全員罪深いちんこを差し出せ。話はそれからだ。
当然麻酔などは与えてやる必要はございません。被害者の痛みを貴様はその身をもって感じろと言いたい。

生きてこそ罪を償える、という考えは欺瞞です。生きてさえいれば幸せだという考えが欺瞞であるのと同じに。
生きていてもあがなえない罪はあるのですよ。
生きることでしかあがなえない罪があるというのなら、それと同じに。

痛いニュース(ノ∀`):女子大生「死刑は残酷、何の解決にもならない、むしろ逃げである」
元記事→「死刑」は続けるべきか、やめるべきか
(全文読むと少しニュアンスが違うので、元記事も読むのをおすすめします)

あと、昔から言われてることですが、死刑囚に地雷撤去させるというのはとても画期的なので世界的にやるといいと思います。どうせ死ぬんだから一度くらいは人の役に立ってから死ねばいい。
posted by NORIKO at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | この国のアレ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/30039122
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。