2006年12月13日

自費出版トラブルのあれこれ

碧天舎やら新風舎やら、自費出版トラブルが相次いでるわけですが。
なんでいきなりそんなうさんくさいところに何十万も金出そうと思うのか理解できません。
普通に同人誌印刷屋で刷っちゃえばいいんじゃね? と思うわけですよ。
ハードカバー装丁にするとまぁそりゃそれなりにお高くもなるわけですが、文庫や新書で満足するなら、P200の本ならカバー代込みで100部刷って十万程度見てればできるわけですよ。ある程度装丁に凝ればそれなりのもんができるからそれでも配ってろ。
つぅかな、素人が何万部も売れると思うな。そもそもそれで食ってる本職だって数千部いければ御の字だっつの。素直にオリジナルオンリー同人誌即売会にでも出てればいい。オリジナルオンリーだと同じような人がいっぱいいる。ほももあるけどwww

自分の作品が売れるかどうか、ってのは自分と身内の評価ではわからないもんです。サイトに上げてるものが人気だからって、それが金をとれるものかどうかはわからない。逆にいきなりバカ売れする人もいます。
同人屋がこんなこと言うのもなんですが、人は身の程を知るべきです。自分に自信がある奴ほど、まわりに持ち上げられてる奴ほど、なおさらです。
あんたの作品、あんたが思ってるほど面白くないよ。
創作なんてものはこの境地から始まるんじゃねぇのか。
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2006年12月12日

馬鹿はほんと空気読めない

OK、まずこれを見てくれ。

他言無用プロジェクト お詫び文
 今般の公演には、たくさんのお客様にご来場いただき、多くのお客様よりお励ましをいただきました。ありがとうございます。
 さて、先般11月19日に日比谷公会堂にて開催されました集会におきまして、天皇家を愚弄した寸劇を上演したと一部週刊誌で報じられ、みなさまよりご指摘をいただきました。

 私どもは天皇家を尊敬申し上げております。天皇家にご不快をお与えしたしましたことは、まことに申し訳ございませんでした。

 今後天皇家がご不快になられるような上演をしないことを、ここにお約束申し上げます。


 また、ご皇族のお子様に見立てた人形をぞんざいに扱ったつもりは毛頭ございませんでしたが、そのように受け止められる寸劇とのご指摘を真摯に受け止めております。

 また、私どもは、子どもたちにいじめを助長してはならないと考えますので、そうした寸劇であると思われる上演は今後いたしません。今後ともみなさまに楽しんでいただける上演を模索して参ります。今後ともよろしくご鞭撻ください。 

                        他言無用プロジェクト


馬鹿はほんと馬鹿なんだなと思う。どうして叩かれたのかてんで理解してない。……ま、理解する気がないからなんだろうけど。
天皇家を愚弄したからけしからん、って人もいただろうさ。そりゃ右から左までいるからな。
でも、なにより怒りを買ったのは「他人の病気を下品に揶揄したこと」「生まれたばかりの赤ん坊を『おまえなんかいらない』と投げ捨てたこと」なんですよ。
誰を扱ったか』が問題なんでなく、『何を表現したか』が問題であることに気がつかない限り、こいつらは何度でも同じようなことを繰り返すはずです。
とってつけたようなくだらない私どもは天皇家を尊敬申し上げておりますとかいうせりふなんていらないんですよ。誰も信じてくれないよ。馬鹿じゃないの。

……何が一番あきれるかって、こいつらみんな40も50もすぎてるってことなんですよ。
そんな年になって、言っていいことと悪いこと、笑いのネタになるようなこととならないことの区別もつかない、それが一番あきれます。
そんなでどの口が子どもたちにいじめを助長してはならないとか言うのか。羞恥心ってものがひとかけらでもあったらこんなこと言えるはずがない。
いやほんと、死ねばいい。なんで恥知らずにも生きてられるのか理解できないわ。ほんと。

メルアドはこれね。晒し上げ。→tagon@st21.co.jp
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2006年12月07日

リンクに「香川うまいもん処」を追加しました。

おすすめをリンクしていきます。食べたものとかも載せていけるといいな〜。
もうほんとになにがなんだかごっちゃなブログになってきたwww結局見た映画とか読んだ本とか書けてないし(´・ω・`)まぁいい。好き勝手するんだ! そういうブログなんだもん。

というわけで、とりあえず「花月堂」と「となりのインド人」を追加してみました。となりのインド人はサイトがみつからなかったのでYahooグルメにとびます。

花月堂はケーキ屋さん。のはずなんですが、いつの間にかパン屋ができたり和菓子屋ができたりカフェができたりしてました(笑)ケーキ屋さんの方でもお店で食べさせてもらえる(……はず。まだ大丈夫だったと思う……)んですが、ケーキもそりゃもうおいしいんですけどおすすめは奥のカフェ。ランチのパスタが月替わりで二種類あるんですが、これがまた毎月おいしい! 毎月必ず二種類食べに行きます。平日はランチセット(パン+パスタ+ケーキ一種)があります。でもケーキ一個じゃ絶対足りないのでww ケーキ二種or三種のセットがおすすめ。パン+パスタ+ドリンク+ケーキ三種にしても¥1500くらいのリーズナブルなお値段です。
二年くらい前に何気なく行って、最初に食べたしそガーリックパスタが今でも忘れられない……!

となりのインド人は見ればわかるかと思いますが(笑)カレー屋さん。甘口から激辛まで取りそろえてます。甘口はほんとに全然辛くない(それなのにちゃんとコクがある! これって結構すごいですよ〜)し、辛口は激辛なので、辛口派も甘口派も誰でも楽しめます。辛さのレベルは五段階。私は1〜2辛で限界……1辛くらいがピリリでおいしいですよ。
おすすめはほうれん草のシーフードカレー(だったかな?)。ほどよい辛さでシーフードとほうれん草の甘みがほんのり感じられてとってもおいしいです。私はナンよりライス派。
四国学院大学の斜め前なので、ポテトナン(ボリューム抜群!)は大人気です。一日枚数限定なのでなかなかお目にかかれない……夜にはないと思ったほうが無難かも(´・ω・`)そういうときはゴマナンおすすめです。香ばしくてウマーです。

うどんもいいんですが、隠れた名店は意外に多いんで、香川にお越しになった時にはぜひお立ち寄りください(`・ω・´)
花月堂は小縣屋のすごく近所なので、ついでに行きやすいかも。ケーキもすごくおいしいので、ぜひどうぞ☆
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2006年12月05日

強制連行関連拾い物ー

2821b499.jpg大半・自由意志で居住 外務省、在日朝鮮人で発表 戦時徴用は245人

在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、いまでは不要になったため送還するのだ」との趣旨の中傷を行なっているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。
これによれば在日朝鮮人の総数は約六十一万人だが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は二百四十五人にすぎないとされている。主な内容は次の通り。
一、戦前(昭和十四年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約百万人で、終戦直前(昭和二十年)には約二百万人となった。増加した百万人のうち、七十万人は自分から望んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。残りの三十万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきた者で、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。また、国民徴用令は日本内地では昭和十四年七月に実施されたが、朝鮮への運用はさしひかえ、昭和十九年九月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年三月の下関−釜山間の運行が止まるまでのわずか七ヶ月間であった。
一、終戦後、昭和二十年八月から翌年三月まで、希望者が政府の配給、個別引揚げで合計百四十万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和二十一年三月、連合国の指令に基く北朝鮮引揚計画で三百五十人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者のうち七五%が帰還している。戦時中に来日した労務者、復帰軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。現在、登録されている在日朝鮮人は総計六十一万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は二百四十五人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意志によって在留した者である。


■参考動画 (フジテレビ ザ・ノンフィクション 2003年9月28日放送回)
母「私は徴兵で日本に連れてこられたの!」
子「デタラメを言わないでくれ!恥ずかしい!」
http://www.youtube.com/watch?v=lCbB1BAcN3w
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2006年12月01日

これを見て人権運動家や左翼たちはどう思うんでしょうか

今回は長い。長いが、草の根でも知らせていきたい。
こんな馬鹿が日本にいる。こんな馬鹿が人権や思想を語ってる。
ぜひ「人権活動家」や「左翼」の方たちに、これをどう思うか聞いてみたい。
天皇家の方々には日本国民としての権利がないから人権を考えないでいいというのか。
天皇家の方々は人間じゃないと言いたいのか。
それは戦前の「天皇は人にあらず、神である」と何が違うのか。

「"天皇陛下、あっちは立つの?""ヒサヒトいらない"…週刊金曜日主催、下劣な "市民集会"」 週刊新潮報じる
(前略)
「そう言えば、去年は皇室典範を変えるとか変えないとかで、マスコミがずいぶん騒がしかった。でも、ウチの次男のところに男の子が生まれたら、それがピタッとおさまっちゃいましたね」
と悠仁親王のことを話題に。

そして、
「今日は、実はその子を連れてきているの。ちょっと連れてきて」
と言うと、スタッフが舞台の下からケープに包まれた赤ちゃんの人形のようなものを壇上の“美智子皇后”に無造作に手渡した。

よく見ると、猿のぬいぐるみである。

“美智子皇后”は、そのぬいぐるみに向かって、「ヒサヒト!ヒサヒト!」と声をかけながら、その猿の顔を客席に向けたり、ぬいぐるみの腕を動かしたりする。
場内は大爆笑。

大受けに満足の“美智子皇后”の芝居は続く。

やがて、抱いている猿のぬいぐるみに向かって、
「ヒサヒト! お前は、本家に男の子が生まれたら、お前なんか、イーラナイ!」
と叫んで、舞台の左側にポーンと放り投げるパフォーマンスが演じられた。
だが、このシーンで場内は静まり返った。


若者の中にはクスクスと笑いを漏らす者もいたものの、さすがにここまで来ると観客の大半が凍りついてしまったのである

(中略)

「天皇なんてもう要らないんじゃないですか。天皇なんてのは民間の邪魔になるだけでしょ?」と聞く二人に“美智子皇后”は、「あら、アタシは民間から上がったのよ」と、応える。

中山女史が、
「そもそも天皇になれるのが直系の男子だけという方がおかしいでしょ? 男でも女でも、長子がなれるようにすべきじゃないでしょうか。それで、ハタチぐらいになったら、本人の意志で天皇になりたければなり、なりたくなければ一般人になってそれで終わり。普通の市民のように選挙権も持てるようにすればいい。そうしていけば、天皇家というウチはなくなります
と、持論を展開。

すると、矢崎氏が、
「そう言えば、今日はご主人が来てませんね?」と“美智子皇后”に尋ねる。

「ハイ」
「どこか悪いの?」
と、矢崎氏。

「ハイ。知っての通り、病でございまして。マエタテセン?じゃなかった、えーと、あ、そうそう、前立腺を悪くしまして。あまり芳しくないのですよ」
「それはご心配でしょうねえ」
「そうなんです」

そんなやりとりが続いた後、突然、矢崎氏が、
「それであっちの方は立つんですか?」
と、聞く。

“美智子皇后”は面食らいながら、
「私の記憶では……出会いのテニスコートの時は元気でございました」と、応える。


場内はシーンと静まりかえった。

天皇のご病気までギャグにされたことで、さすがに観客がシラけてしまったのだ。

「笑い声なんてなかったですよ。何て下劣なことを言うのか、と思わず拳を握りしめてしまいました」
と、当日、イベントに参加した観客の一人がいう。

「その後も園遊会で来賓とお話をする両陛下の物真似で、笑いをとっていましたね。憲法や教育基本法の集会だと思っていたのに、結局、この人たちがやりたかったのは、安倍晋三のこきおろしと、皇室を中傷することだけだったんですね

(中略)

今回“美智子皇后”を演じたのは、劇団『他言無用』に所属する石倉直樹氏(49)である。

永六輔氏に可愛がってもらって、全国各地のイベントで活躍している芸人だ。
「僕たち(注=メンバーは3人いる)は、テレビではできないタブーに切り込む笑いをやっているんです。持ちネタは、色々ありますよ。杉村太蔵や橋本龍太郎、それに創価学会だって、やってます」
と、石倉氏がいう。

「中でも最近は美智子様の芸が目玉になってきてますね。実はお笑い芸人として活動を始めた頃、ちょうど昭和天皇がご病気になって、歌舞音曲慎め、と仕事が次々キャンセルされたことがありましてね。その時、これはおかしいぞ、と思いました。16年経った今も、お世継ぎがどうのこうの、とやっている。何とも言えない怖さを感じます。美智子様のことは好きなんで、出来ればキレイに演じたいんですけどね

悠仁親王を猿のぬいぐるみにしたことには、
「この小道具はよく使うんです。普段は、名前をそのまま言わないんですが、あの集会では、ついフルネームで言ってしまいました。(ご病気については)矢崎さんと中山さんに下ネタをふられ、乗せられてしまいました。
僕は基本的に下ネタは好きではない。永六輔さんには以前、永さんがやっておられた渋谷の劇場にも出させてもらいましたし、去年は沖縄公演にも京都のコンサートにも出させてもらいました。
京都では、僕が皇后で、永さんが侍従の役で、色々やりましたよ。
僕自身は、これを(市民)運動としてやっているつもりはないし、あくまで自分が面白いと思うことをやっているつもりです

お笑い芸人としてタブーに挑戦する──石倉氏は腹を据えて演じているらしい。

だが一方、司会を務めた佐高氏の反応は全く違う。

「皇后を中傷する劇? いやいや、そもそも劇の中で皇室なんて一言も言ってませんよ
と、こう語るのだ。

あくまで“さる高貴なお方の奥様”としか言ってないんですから。だから皇室の中傷などではありません。それは受け取る側の見方ですから、こちらがコメントする理由はありませんよ。そんなこと言うなら核議論と同じで、こっちも封殺するな、と言いたいですね

永六輔氏は、何というか。

「僕はあの日、3時に来いと言われて会場に向かったんですけど、車が渋滞して遅れ、3時半に到着したんです。
だから、そのコント自体、見てもいないし、全然わからないですよ。だから『週刊金曜日』に聞いてくださいな
と、知らぬ存ぜぬだ。

石倉氏に比べて、二人は何とも歯切れが悪い。矢崎氏と中山女史に至っては、取材申し込みに対して、梨の礫だ。
そもそも劇の中で皇室なんて一言も言ってませんよなんてどの口が言う。皇室皇室言ってるじゃねぇか。

作曲家のすぎやまこういち氏は、今回のことをこう語る。

「そうですか。まだ(永氏らは)そんなことをやっているのですか。呆れますね。下品です。
自分に置き換えて考えてみればいい。自分の孫が猿のぬいぐるみにされて、放り投げられたり、病気のことを揶揄されたりしてごらんなさい。人権に対する意識も何もない。
彼らは、いつもは人権、人権というくせに、実はそれが彼らの正体なんですよ。」

主催者である『週刊金曜日』の北村肇編集長は、同誌の編集後記でこの集会の模様をこう記している。

<冷たい秋雨の中、2000人近い人びとが集まった。不思議なほどに穏やかな空気が会場には流れ途切れなかった。永田町の住人に対する、満々たる怒りを深く共有しながら、しかし、そこに絶望はなかった


何も言うことはないです。
これを「おかしい」と思わない奴は、日本人としてというより、人間としておかしい。
これで笑える奴を、こんなものを面白いと思っている奴を、私は人間として認めません。
あまりこういうことを言うのは好きじゃない。でも、さすがに今回ばかりは反吐が出る。吐き気がする。気持ち悪い。
おまえらなんか死ねばいい、死んじまえ下衆どもが、と思います。本当に。


怪物と戦うものは、 その過程で自分自身も怪物になることがないよう、 気をつけねばならない。 深淵をのぞきこむとき、 その深淵もこちらを見つめているのだ。
フリードリッヒ・ニーチェ 「ツァラトゥストラはかく語りき」
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2006年11月21日

自由が先か、秩序が先か

子どもの権利条例 札幌市、提案見送り
 自民党が反対する最大の理由は、「権利よりもまず義務を教えるべきだ」という点だ。学校で教師が子どもを指導しても、「自分らしく生きる権利がある」と反論されるのではないか、などという懸念がある。同党議員会政審会長の笹出昭夫市議は「権利を主張し、わがままを通す子どもにどう対応するのか」と指摘する。

 札幌市の条例の元になった国連の「子どもの権利条約」についても、笹出市議は「後進国の子どもたちの保護を目的としたもの。日本の現状にはそぐわない」という。

 これに対して市側は、「権利を与えないのではなく、行使する時に守るルールを教えることが大事」と反論。国連の権利条約についても「いじめや虐待など、子どもの人権侵害は依然としてある」と説明する。

 市が市民から募った3500件余りのパブリックコメントでも条例への賛否を含め、様々な意見が寄せられた。「子どもの権利は憲法などで規定されており、条例にすることはない」との意見がある一方で、「権利を与えるとわがままになるというのは誤解。むしろ自律と責任感を促す」と、制定を望む声もあった。
「権利を主張し、わがままを通す子どもにどう対応するのか」、この主張は正しい。権利を主張するだけで義務を果たさない大人が多い現状を鑑みるに、子供がむしろ自律と責任感を持つかどうかははなはだ疑問です。

日本人はしたり顔で権利や平等、自由を語りますが、欧米人と決定的に違うことがあります。
それは、秩序の位置です。
人は皆平等であり自由である、というのは多分にキリスト教的な考えです。人は神の前ですべて平等であり、人によってその自由を制限されてはならない。崇高な考えであり、人類普遍のものと思います。
しかしそこには、人の自由の頂点に「神の法による秩序」が厳然として存在するのです。
神が法として下した秩序に依ることで、人の自由は守られる。つまり(いろいろな考え方があるにせよ)、基準は秩序>自由なのです。
日本人(というか非一神教圏というべきでしょうか。この秩序>自由の理念はユダヤ・イスラムもおなじものです)は誤解している人が多いのではないでしょうか。自由は秩序を超越するものでは、本来はないのです。自由と無法は紙一重であり、それを律するには堅い秩序が必要であることを、宗教は教えているのです。

日本にも本来は、そういった一神教に依らない秩序が存在していました。それが「恥」の概念であると私は考えます。これもまた神道の精神に依るものであり、宗教であるともいえるのですが。
和をもって尊しとなす、という概念は、みなが個人の自由を追求していては成り立ちません。なぁなぁであるにせよ、自由と権利ばかりを主張して義務をおろそかにすれば村八分という形で制裁される。いまではこれも「いじめ」に分類されてしまうのでしょうが。

自由を教える前に義務を教えるべき、というのは当然です。現在その悪しき前例がいらないことばかりやって、もっとも大切な秩序を破壊しまくっているのですから、まずは秩序を回復することに奔走すべきです。
語り尽くされた話ではあります、が。
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2006年11月20日

教育勅語

正式には「教育ニ関スル勅語」だそうです。こちらからいただきました。

教育勅語
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日
  御名御璽

現代口語訳
 私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります。

 あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を反映していくものでもあります。

 このような道は実に、我が皇室の祖先の御遺(のこ)しになった教訓であり、子孫臣民の共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、国内だけでなく外国においても間違いなき道です。私はあなた方臣民と共にこれらを心に銘記し守っていきますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを希(こいねが)っています。

明治二十三年十月三十日
(天皇陛下の署名と印。)

教育勅語がどうこう言う奴にはぜひこれを提示して、何がおかしいのかを指摘してもらってください。たいてい指摘した奴の言動がおかしいです。
※原文のほうはなぜか旧字の「徳」を使うと文字化けしてしまうため、新字に変えています。

ほかにもhttp://www.asyura.com/sora/bd12/msg/504.html
posted by NORIKO at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 永久保存版 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ちょwwww

痛いニュース/腐女子「男性同士の愛は、純愛です!」…"ボーイズラブ"にハマる年齢、「11〜15歳から」が6割
“そう・・・。そのまま飲みこんで。僕のエクスカリバー・・・”
この言葉を聞いて、ポワっと顔を赤らめたら、あなたもしくはあなたの彼女は立派な腐女子
赤らめねぇぇぇぇぇぇ!!!!……いや、赤らめるかもしれん。軍曹ばりの「ヒィヤァァァァァ!!!!!」とかいう叫び声を上げつつ。
つーかほかにも恥ずかしい帯のBL小説いくらでもあんのによりによってなんでこんなゾーマレベルの帯を例に出すんだよ!!! 腐の間でもネタ扱いだよ!!
……一時、巡回サイトの日記のタイトルがこのネタだらけになったことを思い出しました。いつかシリアスゑろ小説でこのフレーズを使って一気にギャグにたたき落としたい夢もありますが、勇気がなくてできません。
よし次。ツッコミどころ多いからサクサクいかんとな。

1番多かったのは、 11〜15歳でなんと全体の59.5%を占めている。思春期にボーイズラブに目覚める人が全体の約6割を占めるわけだが、気になるのはその動機。異性にとてつもなく興味がある時期に、なんでわざわざボーイズラブなの? 「男性愛は、普通の恋愛より純愛です!それに自分とは、あまりにかけ離れた世界だから妄想に際限を作らないんです。好きに妄想し放題(笑)」(腐女子歴11年/Aさん)
思春期にBLに目覚めるというのは確かにそう。ヲタに目覚める時期とかぶってる。私も最初にヤヲイ同人誌を買ったのは中一だったなぁなつかしい。中学校でできたヲタ友のお姉ちゃんがやっぱりヲタで、その流れで知った感じ。
しかし男性愛は、普通の恋愛より純愛というのは本気で信じてる奴はいまい。本音はその後、好きに妄想し放題ですよ。
はい次。

また意外な結果は10歳以下は全体の7.8%と思いのほか多く、成人してからと回答した人は20%とかなり多い。腐女子になった理由は「友達が腐女子だったから」は約3割。中には「お母さんが腐女子だったから」といったツワモノも。『風と木の詩』のようにひと昔前からボーイズラブ本はあったし、よく考えたら不思議ではない回答なのかも。腐女子が腐女子を作り出す!? 恐るべし、腐女子サイクル・・・。しかも「生まれた時から腐女子」と腐女子DNAでも存在するかのような回答も
母が腐女子はありうる。私もいいかげんいい年ですが、私が目覚めたトルーパー世代でがんがんやってた同人女だったら確かにそのくらいの娘がいてもおかしくない。そうすると母の蔵書を勝手に読んでうっかりその道に、というのもありうる。
あとDNAレベルで、っていうのは意外に見逃せません。私の経験上、腐る奴はどうやっても腐るし腐らない奴は何をどうしても腐らないという傾向はあります。一回腐った女はほぼ9割舞い戻る法則もありますし、親子でサークル取ってるという話を聞く限り、腐女子は遺伝するとみてよい。環境が悪いという説もありますが、環境がどうだろうと腐らない奴はほんとに腐らないものです。

……ちなみに。
男性には大変気の毒ではありますが、どんなコアなジャンルでも腐萌えしている女はたいていいます。男が二人いれば無意識で受けか攻めかに分類してしまうのが腐女子というもので、それはもう習性でありますので、基本は『近寄らない』が無難かと思われます。どこにでもわいてくるずうずうしい腐女子は腐界においても害病でありますので強制排除してよし。

とりあえず、こういう記事は腐的にどうかときかれれば、「頼むから放っておいてくれ」と言いたい……

どうでもいいですが私はラオウ×トキですっていうかトキ様総受けであります、と不快なネタふりで締めてみるwww
いやーなんかただでさえ少ない閲覧者が消え失せそうな記事でありますなwwww
posted by NORIKO at 11:59| Comment(0) | TrackBack(0) | この国のアレ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月15日

想像力の欠如って深刻だよな

漫画で分かる"無防備地域宣言" 平和願って出版
 平日はサラリーマンという兼業ヒーローと、平和主義を勉強する中学生が主な登場人物。同宣言の意義や仕組みを解説するほか、「軍隊は住民を守らない。まず命を失うのは弱い人々」という沖縄戦の体験談や、戦争放棄をうたった憲法九条についても紹介している。

そういえば老師にお聞きしたことがある。

「理念なき力は悪だが、力なき理念は悪にも劣る」

左の頬を打たれたら右の頬を差し出しなさいと言うのはいいが、んなものは自分だけでやってくれ。私らをまきこまないでくれよ。
その辺にあふれてる戦略シミュレーションゲームでもやってみろ。どんなクソゲーでも最初に占領するのは「敵軍がいない地域」だよ。そしてそこから食料その他を徴発する。

国を守る、領土を守るというのはつまり、そこにいる人間を守るとイコールなのであって(人的資源がもっとも重要な資源である。だから特攻玉砕もギリギリになってから行われたわけで)つまり言いたいことは「寝言は寝て言え」。

野郎の群れに裸の女を投げ込んだらどうなるか。九条っていうのはつまりそういうことです。
『裸の女』をどう扱うかは、『野郎の群れ』の胸先三寸。服を与え丁重に扱う野郎どもはとても紳士ですばらしいですが、そのまま輪姦されても文句は言えまい。
そうされたくなければ服を着るべきだ。
つまり、そういうことです、といろんな人が口を酸っぱくしていってるわけなんだけど。
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2006年11月14日

福澤諭吉「脱亜論」

日本の不幸として立ち現れたのは近隣諸国である。
そのひとつは中国であり、もうひとつは朝鮮である。この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているのだが、もともと人種的に異なっているのか、それとも教育に差があるのか、中国・朝鮮二国と日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、それでも過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。

もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。日本は、むしろ大陸や半島との関係を絶ち、欧米先進国と共に進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならないのだ。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。
(明治18年3月16日)

諭吉先生はかくも偉大なり(´;ω;`)ブワッ
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